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NO RULE, NO DORAEMON

2005-04-22 (Fri) 20:23
doraemo.jpg
新ドラえもんを見た。声優問題は抜きにして気になったことを。
・カメラ割が一定でなくなった
・人物がやさしくなった
などなど。
なんつっても、新ドラでヤヴァイのは
のびたがまともになってしまったこと

以前、藤子氏は、のびたは意識的にふつうの子よりも出来が悪いような設定にしてある。なんて聞いたことがある。のびたの時折見せる狂人ぶりは意識的にうみだされていたのだ。しかし、新ドラではすべてが丸く収まっている。つきぬけたことをする人物は居なくなった。

僕は子供のときドラえもんが恐くて恐くて。あまり見ていられなかった。それはのびたのイってしまった感を醸し出している表現にあったように思える。+そんなのびたへ冷酷なドラえもん。

子供の頃、僕は過剰にのびたに感情移入してしまっていたのだ。
「おい!やめろって!どうしてドラえもんから借りた道具をそんなことに使うんだよ!ジャイアンに仕返しされるぞ!」
みたいなことをいつも考えて旧ドラを見ていた。そこには、ドラえもん界でのルールが存在していた。だから先がある程度見える。そこには恐怖があった。

ルールをなくすことは、感動の伏線をなくすことに等しい。笑いや感動はある程度予想した展開を裏切られることで発生するためだ。旧ドラには日本人ならば誰でも無意識に知っているようなルールがあった。だから、新手の芸人が、程度の低いウケを手っ取り早く狙うときは「ドラえもん」か「サザエさん」を用いる。

僕が無機的なドラえもんではない今の有機的ドラえもんを子供の頃から見ていたら、何も恐怖には感じなかったんじゃないかと思う。しかし、ルールをなくしたドラえもんが日本文化の古典を守れるとは思えない。 デル株式会社
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どらってたしかに怖かったよなー。

マッドな世界観だからかなー。
恐くないひとの意見も気になるとこです。
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